孰れか微生高を直なりと謂ふ

人の幸福を妬むことをルサンチマン、怨望と言ひ、怨むことはまるで恥づべきことであるかのやうに言はれる。

子曰、伯夷叔齊、不念舊惡、怨是用希、子曰、孰謂微生高直、或乞醯焉、乞諸其隣而與之、子曰、巧言令色足恭、左丘明恥之、丘亦恥之、匿怨而友其人、左丘明恥之、丘亦恥之、

子の曰(のたま)わく、伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)、旧悪を念(おも)わず。怨み是(ここ)を用(もっ)て希(まれ)なり。

子の曰わく、孰(たれ)か微生高を直なりと謂う。或るひと醯(す)を乞う。諸(こ)れを其の隣に乞いてこれを与う。

子の曰わく、巧言、令色、足恭(すうきょう)なるは左丘明これを恥ず、丘も亦たこれを恥ず。怨みを匿(かく)して其の人を友とするは、左丘明これを恥ず、丘も亦たこれを恥ず。

岩波文庫の「論語」(金谷治訳注)から。孔子によれば、周の王を諌めるために困窮のうちに死んだ伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は人を怨むといふことがほとんどなかったといふ。しかし考へるに、怨みの感情を起こしたことはあっただらう。個人の怨みも義憤に通ずることはある。怨んでゐるのに友人のやうに振る舞ふのは人間関係の体裁だけを取り繕ふ欺瞞であらう。

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